2014年 07月 23日
『介子推』を読んで
本書は、春秋時代、長期にわたる亡命生活の果て、晋の君主に君臨した重耳を陰から支え続けた介子推の清廉潔白な生き方を描く。
介子推は本名が介推なのだが、彼に対する尊敬の念から、後世の人々が「子」を名前の前に付け、介子推と呼ぶようになったそうだ。ちなみに、「子」は春秋時代初期における貴族の尊称。
重耳に理想的な君主像を見出した介子推は、何十年にもわたる彼の亡命生活を陰から支えた。その功績は重耳に知られることがなかったが、介子推はそれを良しとした。晋に戻った重耳は君主となったが、重耳もその重臣たちも結局は栄達を求める目的で欲望で動いているにすぎないとわかった介子推は、徹底的に失望し、山に隠居することに決め、忽然と姿を消した。
後世の伝説では、他の重臣たちから介子推の功績を聞いた重耳は落胆し、何としてでも彼を呼び戻すべく、介子推が隠居したとされる山に放火した。それでも介子推は重耳のもとに戻ることなく、山で焼け死ぬ道を選んだ、という逸話が残っている。
中国では、清明節の前日を「寒食」といい、一日中火を使わず、食事も火を通さない。この風習は、山で焼け死んだ介子推を悼むことから始まった風習と言われている。
ここでちょっと寄り道・・・唐の詩人、杜牧の「清明」という漢詩がある。
淸明時節雨紛紛、路上行人欲断魂。
借問酒家何処有、牧童遙指杏花村。
これは清明節についての詩だが、「杏の花の村」とはなかなか風情がある。
中国の歴史小説を読むと、哲学的なことがたくさん書いてあるため、とても勉強になる。
「栄達(出世すること)に目がくらむと、足元が暗くなり、人の道を踏み外す。人から何かを得ようとするなら、まずは与えなければならない。人が見ていようと見ていまいと、その行為は天がみ、山霊がみておられる。山霊に顔向けできぬことだけはしてはならない。」ー介推の母
「天には気があり、人にも気がある。怨む者の気は目に見えぬ炎となって天に昇り、天にとどまり、やがて巨大な塊となって怨む相手を襲う。人から怨みを受けるようなことをすると、天からとがめが降ってくる。」ー籍沙(介推の友)
「人にわかる徳を陽徳といい、天がそれを報いる。人にわからぬ徳を陰徳、悪を陰悪といい、地がそれらを裁き、子孫にも及ぶ。陰徳をなすと陽報がある。」
哲学的というよりも宗教的な部分も強いかも知れない。この時代の人は山の霊を信じていたそうで、介推もそれに従った生き方をしたと言える。
介推が重耳を支えたのも、山霊のお告げを聞いたから、という理由がある。お告げといっても、直接そう言われたわけではなく、物事の進み方から、自然とその道が開かれ、そう進んだだけなのである。
運も人の助けも山霊がそうするように仕向けた、という考え方は、どの時代においても通用する考え方なのかもしれない。
by sakura-lys
| 2014-07-23 19:30
| 読書感想文